江戸絵図にも、本郷三丁目から少し歩いた、あの坂道は描かれている。八百屋、和菓子屋あたりは松平伊賀、とあり、下りのぼる坂道に交わるのは、菊坂とそれと平行する細い道で二つの道の間は緑地となっている。
下ってのぼる道の先は本妙寺。お寺が緑地に囲まれていたのか、江戸のころ、歩いてみたい風景だ。
文京区本郷三丁目の坂道
八百屋があり和菓子屋があり、そこはまだ、なだらかな坂道だが、その先急な下り坂。
細い十字路が見え、それからは上り坂。ほんの小さな坂道風景だが、「あ~」と一瞬ぼんやりする。なんだかよくわからない坂道。なにかが頭をよぎるのか、過去に何か思い出があるのか、似ている景色のどこかを思い出しているのか、そのどれでもないのか~。
細い十字路はたぶん菊坂なんだろう。
本郷三丁目の駅からこの坂道へ入るかどに、ハンバーガーの店がある。
風味豊かなハンバーガー。
坂道とハンバーガーがセットとなり、時々、出かけたくなる。
陸奥国と出羽国
江戸時代のある人物を思い出し、諸国を巡ったとあるので、諸国とはどこを巡ったのかと、簡単に検索してみたら、天保天明の飢饉とか、旅をしたのは東北だとか書いてあった。
当時の陸奥国、出羽国だ。
20代前半のひとりたびは、飢饉による義民の碑を訪ねる旅が多かった。いま思うとなにか不思議な気がする。なぜそこに興味をもったのか。
残っている写真は、以前にもtenuguisanのブログに書いたが、金沢の天保義民の碑。石碑の上に鳥がのっていて迫力がありよく覚えている。この鳥は鳳凰でその向きも意味があるという。
当時出版されていた県別歴史散歩の本が案内役だったが、その本も捨ててしまい忘れっぽいのだから、とっておけばよかったと少し後悔。40冊くらいはあった。あれ、そのことも書いたかな~?
陸奥国、出羽国の記憶はないが、どこか歩いているのかもしれない。
青森を旅するなら、八戸、弘前、恐山がいい。
神田志の多寿司
パンフレットの、ごあいさつ、には。
明治35年の創業以来「志の多寿司」と「のり巻」一筋に今日を迎えさせて頂きました。
とあり、すごいな~と、関心する。
テレビ番組で紹介されたとき、稲荷寿司=志の多寿司はもちろんのこと、のり巻きがなんとも美味しそうだった。干瓢がしっかりと味付けされていて、バッチリ入っている。のり巻きは、長めの切り方、いい感じに黒い海苔、あ~これはもう食べるしかな~。
店のパンフレットに錦絵がのっているが、この絵は神田志の多寿司さん所蔵で、その絵に描かれた「志の多巻」の屋台では、味付けされた油揚げに、味付けした豆腐殻を入れ一切「四文」で商いされていたそうで、「天保末年頃油揚げを袋形にして、椎茸、干瓢を刻み、飯に交ぜ「稲荷ずし」として屋台で売り出された」ことが紹介されている。
甘辛い油揚げ、甘めの酢飯、なじんだ味付けだった。また、海苔巻きは、しっかり味の干瓢と寿司飯に、海苔の香りが江戸っぽい~イメージ~。