埼玉県の川越市、栃木県の栃木市、千葉県の佐原市は、江戸と深いつながりがあったり、町並みが保存されていたりする、よく知られている小江戸だ。
時間がとまったような、ゆったりした旅かできるといいな~
パンフレットの、ごあいさつ、には。
明治35年の創業以来「志の多寿司」と「のり巻」一筋に今日を迎えさせて頂きました。
とあり、すごいな~と、関心する。
テレビ番組で紹介されたとき、稲荷寿司=志の多寿司はもちろんのこと、のり巻きがなんとも美味しそうだった。干瓢がしっかりと味付けされていて、バッチリ入っている。のり巻きは、長めの切り方、いい感じに黒い海苔、あ~これはもう食べるしかな~。
店のパンフレットに錦絵がのっているが、この絵は神田志の多寿司さん所蔵で、その絵に描かれた「志の多巻」の屋台では、味付けされた油揚げに、味付けした豆腐殻を入れ一切「四文」で商いされていたそうで、「天保末年頃油揚げを袋形にして、椎茸、干瓢を刻み、飯に交ぜ「稲荷ずし」として屋台で売り出された」ことが紹介されている。
甘辛い油揚げ、甘めの酢飯、なじんだ味付けだった。また、海苔巻きは、しっかり味の干瓢と寿司飯に、海苔の香りが江戸っぽい~イメージ~。
久しぶりに軽く江戸気分。
江戸気分ではなく、菖蒲が満開だから日本庭園へ出かけよう!なら、紫色気分になるはずが、それよりは江戸、だった。
江戸時代の初期に中屋敷として造られ光圀の代に完成した庭園だそうだ。
満開の菖蒲。様々な色の花だから、ふわふわと浮いているような海のような動きがある。
花菖蒲田の奥になだらかな小山?すずめが歩いていた。
そこは、幾つかに分かれた藤棚が舟みたいに見え、立派な松の向こうは大木の照葉樹などの林。
菖蒲を見ながら西へ歩き全体を眺めると、菖蒲田は細長くそれにそって藤棚が一本の長い棚になっていたのに驚いた。
その三つ叉のある場所が驚くほど素敵な何かを感じる場があった。
カラスは一羽、いつも、木で鳴いていた。すずめ、背グロセキレイは近くにいた。
椋鳥も歩いていた。
眺める角度を少し変えただけで、まったく違う風物が広がり、そのどれもがしっくりくる。
花菖蒲の色の波に驚いて、江戸気分より紫色気分が膨らんでいった。
咲き終わったカキツバタの畑を見ていたら、京都、上賀茂神社で見たカキツバタの踊りを思い出した。
たぶん平安の頃の衣装、男女、男の人が多かったか、輪になり踊りを踊っていた。
踊りの一コマに、手のひらを地面に向けまっすぐに突き出し、そこに足を持ち上げつま先を手のひらにツンとつける動作。
その場でやってみたのを思い出した。
輪で踊っている人たちの中に、ポチポチとカキツバタの花が。花も同じような動きをしていたので、カキツバタの踊りかと思ったのだ。
しかしこれはすべて幻覚?だ。
創業は、文化年間。
江戸の刻がわかる時計を買ったと友達に話したら「それでは是非、江戸の味を楽しまなければ」ということで船橋屋さんへ。
ところがわたしは、3月末からの15日間の、江戸テンションは今は下火。
だが、下火といえど食べ物には興味がある。
江戸っ子の心を捉えたのは、独特の風味に絡む黒蜜ときな粉、この組み合わせの妙、とは、船橋屋さんの説明。
トコロテンも食べないわけにはいかず、二種類を夢中で食べる。トコロテンのタレは、キレキレの酸っぱさかも。
亀戸天神に隣接する和食処で、福来る弁当をいただき~これは突然、食べることになる。
暗くなるまで待ち、夜間の藤を楽しむ。夜間にはますます藤の存在感、大。
藤が咲き始めたので、亀戸天神へ。
池の上の藤棚。低木の藤の木。房が長かったり、色の濃い艶のある宝石みたいな色の藤だったり、色々がぎゅっと詰まった庭。
太鼓橋が高さ空間をつくり、一目で見渡せる天神様でもある。
社殿向かって左、スカイツリー側が少し重そうに見える。なんだろう。
藤の木の曲がりくねった幹から、「これまでに色々あったよ、おなかがすいた」と、聞こえた。「色々あった」と聞こえた時、映像が浮かんでいたが、何を意味しているのか?
それにしても、藤の花の力は凄い。
連なる屋台、混み合う人、その賑やかさが藤棚に向かったとたん消える。あんなにしていた食べ物の匂いがなくなったのには驚いた。
帰り道、ビルの水の流れるスペースで、カラスか鳴き始めた。足は流れる水の中。