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5月20日にも載せた「浄瑠璃寺」のことが
まだまだ気になり
再び同じものですが写真も載せてみました。
たぶん一人旅の始まりの頃で
歩いたということで
忘れていることのほうが多いのですが
個人的なことで何か気になります。
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〈浄瑠璃寺〉のあるこの地域について
―――記事の記録
「木津市の東部、丘陵地に開けた加茂盆地を中心とする地域は、北から瓶原、加茂、当麻と呼ばれ3つの地域で加茂を形成」し「町名〈加茂〉は古代の神事を司るカモ氏に由来するものと云われて」いて「この盆地には奈良時代の和銅元年以来、天皇が行幸した岡田離宮や瓶原離宮の他、古代の和同開珎を造る鋳銭司も営まれ」ていた。
(木津川市のサイトより)
「天平12年(740)には聖武天皇が平城京から現在の加茂町の恭仁京に都を遷都し、5年にわたって日本の首都」
(歴史街道 おでかけガイド)
「承平年間(931〜938)の辞書「和名類聚抄」に相楽郡の七郷の一つ「加茂郷」としてあらわれる。その由来は賀茂県主氏の居住地であった」
「加茂の字に改められたのは、江戸中期の正徳乞円に大洪水が起こり、その復興の際であったことが常念寺の什物記録に見える」
「中世は東大寺、興福寺の荘園、江戸時代には広域地名として加茂郷」
「明治22年、町村制で9村合併し加茂村が発足」
(ウィキペディア)
「平成19年、相楽郡の木津町・加茂町・山城町の3つの町が合併し木津川市が誕生」
「3世紀頃から木津川交通路として利用され、奈良時代には木津が平城京などの都城建設の木材の陸揚げ港として栄えた」
(木津という地名の由来)
3世紀あたりから栄えていたって
ずいぶん古くからですが
カモ氏はその頃から住み始めたのかな〜とか
もっと前からかな〜とか
知りたくなります。
地名はこうやって残っていくのか〜。